平和な町 スリランカ
スリランカが急性的な恋愛の恋の方だとしたら、慢性的な恋愛の愛の方に当たるのがチベット・チベット人。
チベットと言っても私は未だ中国のチベット自治区には行ったことがないので私が知っているのは、チベット文化圏やネパールやインドに住む故郷から亡命してきたチベット人。
きっかけはダライラマ法王。
旅にでるなんて全く考えもしていなかった頃、初めてある雑誌で彼のことを見て、身体に電気が走ったようだった。
その後彼の仏のようで(というか活仏なので)とってもおちゃめで親しみやすい笑顔に何度となく救われて生きてきた。
初めて北インドの亡命政府があるチベタンが多く暮らす町に降り立った時、あぁ私はここにいると思った。
デジャヴというか、本来ならまだアウェイであるはずなのにホームを感じてしまった。
いや、日本人なら誰しも懐かしさと親近感を覚えてしまう。
それまで同じアジア人と言うには顔立ちがくっきりしすぎているアーリア系のインド人の中にいて、急に自分達の田舎に帰って、じいちゃんばあちゃんに再会したような感覚なのだ。
この懐かしいという感じ、行けば分かると言いたくなってしまうけれど、一体なんなのかと問われれば彼らの顔立ちはもちろんのこと、ヒマラヤの麓という場所柄暮らしそのものが土に近く、近代化される前の姿が残っており、彼らの人生の基盤・土台に信仰があるのだ。きっと少し前の日本にも見られただろう姿達がここではまだ生きている。
この町の中心的存在、ツクラカンと呼ばれるお寺の周りをチベット式では時計回りに回るのだけれど、昼間そこを訪れると必ずえんじ色の袈裟を着た僧侶と老人が数珠を持ちながらそこをお参りしている。
途中、休憩所のような長いベンチがあるところで老人達は座って話をしたり、黙って休憩していたりする。
そんな中、彼らの近くに腰かけて一人過ぎゆく人を見るのが好きだった。あのベンチに座るとふーっと肩の力が抜けてしまう。
そんな山間にあるチべタンの町は皮肉なことに悲劇の結果として現れてしまった。
ここにいる人達はみんな故郷を離れて、家族とも離れて自分の足で命からがら数千メートルの峠を越えて来た人達、またはその子孫なのだ。
本を読んでその事実を知りつつも目の前に居る彼らがあまりに穏やかなので、はじめはどうにも亡命というのがピンと来ない。
よく見ると瞳の奥に影が潜んでいる。若者の男子なんかは特に、仕事がまともになかったり海外からツーリストがわんさか訪れるわけだから外の刺激を求めてしまう。
いつの時代も環境が変われば事情も変わってしまうもの。だけど、当初の私にとってそこは平和な町だった。
現実の問題いとして、彼らはいつも心穏やかだった。町には平和的な空気が流れていた。
だからこの町に居る時の私の心も平和そのものだった。
言葉は通じなくとも、お互いはにかみながら顔を合わせる感じ、あの肌で分かりあうような感じがチベット人とは持てた。インド人や欧米人とはなかなかできない。この肌に染み込む穏やかさがたまらなく心地よかった。
