スリランカのご加護

二回目にスリランカを訪れたとき、ちょっとした事件が起きた。
まずは見慣れたあの町へ、と空港からローカルバスを乗り継いでキャンディへと向かい一日目はスリランカ僧侶宅になぜかお世話になり、その後は前回と同じ宿に泊まっていた。

ある日気づくとパスポートと航空券と日本円を入れた赤いケースが見当たらない。
ここに来てから、キャンディに来てから見ていないような気がする。
いつも宿や寝泊まりしたところを出る時は忘れ物がないか確認するから初日の僧侶のところにあるはずはない。
空港からキャンディに来るまでに落としたとしたらどこでなのか見当がつかない。こっちに来てから3,4日経っている。
それにパスポートに加え現金が入っているのだから見つからないのでは。あぁ面倒なことになってしまったと思った。

ちょうど当時、お茶をする現地の友達ができたので相談にのってもらい、あぁだこうだと美味しい紅茶を飲みながら話していると私が日本から持参した携帯が鳴った。
もちろん海外だからよく知らない長い番号が表示される。
怪しんでほっておいた私をよそにその友達が電話にでると言う。
なんと、それが赤いケースを拾ったという方からの連絡だった。バスの中で拾ったという。しかもその拾ってくれた方の兄弟が日本で車の事業で働いている人だという。

なんてこった。携帯に電話が来たのはその時が初めてだった。次の日こっちまで来るので会うという約束をした。
その日PCでメールをチェックすると、なんと日本大使館から実家に連絡が行ったようで(というのも見つけてくれた人が大使館に連絡をしたらしく)大使館に連絡を入れてくれ、と伝言をもらったので連絡すると日本人の職員に「まずスリランカではこういうことはありえませんからね。拾ってくれた方にお礼して下さい」ということで頭が上がらない。

翌日、実際に拾ってくれた空港の土産屋で働く彼と銀座に事務所も持つ彼のお兄さんとレストランで落ち合った。
お兄さんは日本語もしゃべるのでこちらも気兼ねなくお礼を言える。彼らはイスラム教徒のお金持ちだった。
ケースと中身をそのまま返してもらうと、強制ではないが仕事をするのに書類上の奥さんが欲しいのだけどどうかいお金は払うよ、と誘いがかかる。

恩はあれど簡単にハイと言えることではないのでそれとなく流す。彼らにとっては一夫多妻制だからそうゆうことも可能なのだ。
お兄さんには最近生まれたばかりの子供と奥さんが一人いるらしく、一度うちに遊びに来なさいと言ってくれた。やっぱり日本人がいるということが嬉しいようだった。

彼のおうちが空港方面というのもあって、旅の最後におうちへお邪魔しに行くと立派なおうちに美味しいごはんを御馳走になり、なぜか土産まで頂いてしまった。その後空港で働く弟に挨拶をしに行くと、世界遺産シーギリヤロックの絵が描かれた高級なお皿を包み持って行け、という。一体なんなんだろう。アッラーまで私に惚れたのではないか、というまでに私はいい思いをしてこの島国を後にするのだった。

痴漢や一方的な障害はさておき、一人で旅をしていればその分出会いも多い。
日本国籍の女性が一人でならばなおさらかもしれない。

日本国外へでて旅をすれば必然的に日本人旅行者になり、日本というのが外からどういう目で見られているかも少なからず知ることになる。
特にアジアの男性で日本へ行きたい、日本のビザが欲しい(これは欧米や韓国などに対しても同じ)人はたくさんいる、日本で働けば一家まとめて養える、勉強ができる、同じ仕事量でも賃金は言うまでもなく跳ね上がる。

彼らにしかわからない外への憧れと現実的な可能性は確かにあるのだろう。
だからこそ女性を通じて、という考えに落ちるのもわかりやすい話。恋というのは瞬間的に幸福で盲目で厄介なもの。

アジアに行けば必ずと言うほど現地の人と結婚をして暮らしている日本人妻がいる(それに比べて日本人男性が外国人の奥さんを連れているケースは少ない)。
おかげでこれまで色んな人に出会ってきた。
第三者から見て大丈夫?という感じの人やこの人はどの国の人と結婚しても変わらないだろうな、と思える人もいたし実際日本に呼んでお金を渡したら消えたという話も聞いている。

一度はネパールで普段は日本で暮らしているネパール人の旦那さんと子供を持つ日本人女性と宿が一緒で、休暇という形で少しばかり滞在しているとのことだったけど、そこの宿の庭は素敵にガーデニングされていて、小さな子供がのびのび遊んで周りの大人にも可愛がられて私はよく外で洗濯していると遊んでとせがまれたけれど、健全でいい時間だった。
日本の都会で暮らしている子供にもこんなところで遊ばしてあげたい、と思わずにはいられない。
そこは宿をでれば湖が広がりまわりはとうもろこし畑や他の穀物を牛を使いながら耕しているようなところで、私達の誰もが懐かしいと思いトトロの主題歌を口づさんでしまうようなところなのだ。

自分が都会育ちなだけにこんなのどかなところで育った人と一緒になるのも素敵、なんて思ってしまう。
きっと実際に結婚して子供が出来て、となると育った環境、文化、食事、言語、等々乗り越えなければならないハードルがあることは間違いないけれど、旅先で出会った人と結ばれてそこから新しい道が開けるというのも人の物語の多様さを思わせる。
旅を考えて想像した挙句に出発しなかったのならこうゆう展開にはならない。
今日誰と出会うのかわからない。
そして一人の人間と出会う事が人生を大きく変えることもある。旅先で見かけた国際結婚はそんなことを思わせてくれる。